2014年8月17日日曜日

い〇のんの災難final ー 帰国直前 ー

こんにちはー。

久々の更新。私はすでに日本に帰ってきておりますが、このネタは書かなくては!と急に思い立ったので書くことにしました。

今回の彼の災難は、帰国直前の3月13日の夜遅くに起こりました…




僕が家で最終報告書の仕上げやら片付けやらをしていると、い○のんから電話が。
ちなみにい○のんは、14日の午前に出国、私は14日の夜便での出国を控えておりました。

夜遅かったので、帰国を前に1年間お疲れ的な電話かと思い、電話に出ました。

俺「うい」

い○のん「りょ~」
何だか泣きそうな声。どうしたどうした、感傷的になってるのかな。




い「カバンとられた~(ノД`)」




…割と衝撃的なことを言ってきたぞ。

俺「え、まじで」







い「中にパスポートと財布も入ってた~」

俺「え、まじで」









俺「ま   じ   で ーーーー!!!」






かくしてい○のんは、約1年の滞在からの帰国12時間ほど前に、パスポートと全財産を失ったのでした。

一体何が起きたのか。いやホント何してんだ。






遡ること3時間ほど前―――
ベトナムでの最後の夜。い○のんは、よく遊んだりお世話になってた在住の日本人(Aさん)とご飯を食べてました。

Aさん「で、い○のんこの後は??最後に挨拶しなきゃいけない女の子とかいるんでしょ?(ニヤニヤ)」

い「いやいや~、いないですよそんなの~。家帰ってブログ更新でもしてますよ。」









実は、いた。






ここで、何故今回彼の名が伏字になっているか説明しましょう。
それは、このブログをい○のんの彼女が見ている場合も想定して、伏字にしていたのです。

見てるかー!彼女見てるかー!いけ○んはベトナム楽しんでたぞー!
(※い〇のんの名誉のために言うと、「この子は単なる友達で、特別な関係ではない」と彼がいっていた(彼に言わされた)ことを書いておきます。)





さて、Aさんとの食事を終えて岐路に着くい○のん。
ただこの時点では、い〇のんはその子と会おうとは思っていませんでした。
…と、本人は言っています。


が!どういうわけか、ホントにどういうわけか、やっぱり会っておこうと思い立って、彼女(B子)に連絡をします。
連絡が取れて、彼女の家の前で会うことに…。






~彼女の家にて~

い「明日Japanに帰るんだ~」

B子「え、うそ…」








言ってなかったのかよ!!!!!!!







どうして教えてくれなかったの!と問い詰めるB子。必死で弁明するい〇のん。
にわかにヒートアップした二人は、




隣人「うるさい!(ベトナム語)」




怒られた。
アパートの部屋の前で言い合いしていたので、近くの公園に場所を移動。





~公園のベンチにて~

B子「何で言ってくれなかったの!ワタシの事なんでどうでもいいの!?」

い「だからあ!」



※首ではありません。肩です。



肩を掴んで、必死で説明を試みるい〇のん。
動揺して取り乱していたB子は泣き出してしまいます。

どうしたものか…と思案するい〇のん。ここで、気付く。


鞄が、無い。


自分の隣に置いたはずの、「だからあ!」と言う時に置いたはずの鞄が、ない。

落ちたのかな?足元を見る。ない。
もしかして?ベンチの下を見る。ない。

鞄の中には、さっき引出した預金を含む全財産と、パスポートが…
帰れない?不法滞在?犯罪者?
めちゃくちゃ焦るい〇のん。

ベンチの周辺を探してもない。
近くの茂みみたいなところにもない。
B子に聞いても見てないという。






うぇあ、 いず、 まい、 ばーーーーーーーーっぐ!!!!!! (と言ったかは知らない)






い○のん、発狂。

B子は新しく加わったショックも合わさり相変わらず泣いているし、い○のんはB子どころじゃなく死にもの狂いで鞄を探している。
修羅場から一転して地獄絵図に。



当りを探してみてもやはり鞄は見つからず、これは盗まれたとしか思えないということで、B子を連れて周辺の人に自分の鞄らしきものや怪しい人を見なかったか聞いて回るい○のん。

たぶん近所の人もびっくりしたでしょう。
話しかけられて何かと思ったら、何か女の子すげー泣いているし、隣の外国人の男は何かよくわかんないことまくしたてて超焦っているし。



――結局、有益な情報は得られず、警察やら色んなところに連絡しつつ、途方に暮れていた時に私に電話をくれたのでした。
(い〇のんはホーチミンに居て、私はハノイに居たので、助けにはなれませんでしたが…)

そして後日い〇のんは、大使館やら警察やら回り、パスポートの代わりの証書みたいなものを発行してもらい、数日後に帰国することが出来たのでした。





・・・めでたし、めでたし。
皆さんも、帰国前夜に急に思い立って女友達に帰国を告げるようなマネはしないようにしましょう。



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おまけ
い〇のんがひったくりに遭った話はこちら
い〇のんが痴漢に遭った話はこちら

2014年1月8日水曜日

めちゃくちゃ寒いハノイの冬。なぜなら…

シンチャオ!

2014年になりましたね。
今年は、少なくともハノイに居る間はもうちょっと頑張ってブログを書きたいと思います。

といつも思っていますが、たぶんマイペースな更新のままだと思います。



さて、最近のハノイのなのですが、

寒い。


ハノイはベトナムの北の方にあり、実は温帯気候。四季があるのです。
なので、日本と同じように今は冬なのです。

どれくらい寒いかというと、
気温で言うと、朝夕は10度前後。
…と聞くと、「そんな寒くないのでは?」
と思う方も多いのではと思います。


しかし!
大間違いです。めっちゃ寒いです。


何故寒いかというと、
「家の作りが冬に対応していない」
ということ。

毎年冬が来るハノイなのに、何故か家の作りは夏にしか対応していなかったりします。
もちろん家にもよるのでしょうが…少なくとも私の住んでいる家は全く対応していません。

対応していないポイント①

一見部屋にエアコンがあるので冬でも大丈夫そうですが…


エアコンは、スイッチが一つしかなくON/OFFしか切り替えられません。
そしてONにすると冷気が出てくるのです。


対応していないポイント②

さっきの写真。
ちょっとズームしてみましょう。


わかりますか?
ブラインドみたいになっている窓は固定されていて、外気が普通に入ってくるのです。

何故か冬に対応していない家、そして暖房器具もない。今まで戦っていたネズミも最近は出てこない。
つまり、ハノイはだいたいどこにいても寒いのです。これが日本とは違うところ。




じゃあ冬にハノイ人はどんな生活してるのってとこなんですが、上着を着て夏と同じように生活しています。あまり変わらない。

夏にスイカ食ってた果物屋さんは相変わらずスイカ食ってるし(売ってるし)、
夏に道でトランプしていた人たちは上着を着てトランプしているし、
夏に道端でシャンチー(中国将棋)しているおっさんは、ジャンパー着て同じように打ってるし、
夏にバイクの上でだらだらしていた人たちは、上着を着てだらだらしているし(人数は減った気がするが)、
夏に路上で乾杯している人たちは、やっぱり上着を着て外で乾杯しています。

みんな家の中入ってやれよ、と思いますが、家の中も寒いんでした。

ベトナムについて書かれた本に「北部は我慢強い性格」って書かれていたりしますが、こういうことなんでしょうかね…?



一方私の一日はというと、朝寒い寒いと目をさまし、オフィスに行き、気温の上がる昼間は寒い屋内でかじかむ手で仕事をし、気温が下がってくる夜に家に帰り、寒い家で寝るまで過ごします。寝るまでと言ってますが、何をするにも寒すぎるのでさっさと毛布に包まってしまいます。
活動時間が短いうえに生産性もあがらない。


逞しいハノイ人に比べて、寒さにやられっぱなしの私。こんなんじゃいけない。
寒さに対抗すべく繰り出した秘儀…それは、


「厚着」


今の日本みたいに、中に居たら暖房がきいていて温かい場合は、外にいるときだけ立派な防寒着を身に着けていればいいんです。昔の私もそうでした・・・

でも、一日中どこに居ても気温が変わらず寒い、そんな時には厚着です。


ある日の私の服装、
上半身:ヒートテック×2、タートルネック、シャツ、セーター
下半身:ジーンズ、ゆるめの綿のパンツ、タイパンツ
その他:マフラー、ニット帽、靴下×2

そんな格好で朝出かけ、家に帰れば
上半身:Tシャツ×2、タートルネック(服と服の間だったので汚れてないだろうと再登板)、トレーナー
下半身:バスパン、スウェット

という格好でいます。
もう着膨れ感が半端じゃない。野球拳で負ける気がしない。お前らまとめて裸にしてやるぜ!みたいな。
ちなみに靴下は洗濯が間に合わないので最近では一枚ずつ履いています。それでもまだ温かいし野球拳も強いです。



まあ本当のことを言うと、ジャンパーとかコートとかを買うタイミングを逃してしまっただけなんですけどね。